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一次産業の融合

· 約7分
Yachiko Obara
共同代表 @ ポリマスリサーチ
Hiroki Obara
共同代表 @ ポリマスリサーチ

現在、日本の各地で起きている自然に関する問題は過去の政策が原因である。熊出没やカメムシの大量発生、水不足。すべて森の生態系が貧しくなったことに起因している。

きれいな空気、きれいな水、きれいな食べ物

森は「きれいな空気、きれいな水、きれいな食べ物」を得るために昔から大切にされてきた神聖な場所である。そこには、多くの生き物が棲み、柔軟で頑強な恒常性を築いている。その恒常性がフィルターとなり、空気、水、土、植物、動物が次々に浄化されていくサイクルが生まれている。

地球の内部コアから表面に至るまでのマントル、地殻、海洋、大気のダイナミクスは相互に連環し、地球に降り注ぐ太陽の熱と光のエネルギーを循環させている。そのエネルギー循環の恩恵として、私たち生物はきれいな空気を吸うことができ、きれいな水を飲むことができ、きれいな食べ物を食べて生命を存続させることができるのである。

水は循環する粒であり波である

田んぼにはきれいな淡水が必要である。この水はどこから来るのかといえば、それは山からであり、森に貯められている水である。海から川を逆流して上ってくるのではなく、小さな水の粒の集団、つまり雲や霧になって移動している。それは雨粒となって土に染み込み、地下水に流れ、川から海へと還っていく。土に染み込んだ水は植物の根によって保持される。

広葉樹は長寿であるが、広い葉を持つこの樹木が森を形成することで、木漏れ日が生まれ、多くの鳥が棲み、虫が棲み、小動物から大動物まで多種多様な生き物が棲む豊かな生態系が築かれる。その生態系は数百年続く。

生態系は地上世界と地下世界からなる鏡像的な世界である。私たちの目に見えない地下世界には根が張り巡らされ、団粒構造となった土の粒々に多種多様な微生物が住んでいる。そこに染み込んだ雨水が表面張力によって貯められる。

針葉樹の人工林造成政策の影響

その絶妙なバランスを壊すために故意にやったわけではないとは思うが、針葉樹の人工林造成政策1は日本の自然を根本的に破壊している。それが現在起きている生態系に関する問題の原因である。

水不足は広葉樹を伐採し、針葉樹を増やしたためである。針葉樹からは豊かな森は生まれない。豊かな森がなければ、山に水が貯められない。水が貯められなければ田に水を張れない。川の水が少なければ鮭は遡上できない。熊は広葉樹であるブナの木の実や鮭を十分に食べることができない。子熊に食べさせるものがほとんどないので、親子で行動範囲を広げ、危険を犯してでも食糧を探す。

山の貧困のため、常に空腹な熊の機嫌は最高に悪い。そこで人間と鉢合わせれば、子を守るために牙を剝くことは想像に難くない。熊は山の生態系の豊かさの象徴なのだ。熊が里に下りてくるということは山の生態系に異常が起きていることを知らせている。

自然界から見れば、針葉樹の一方的な植林は、針葉樹の異常発生に他ならない。植物にはそれぞれ対応する虫が存在する。針葉樹に対応する虫のひとつがカメムシである。カメムシの大量発生は季節的なものでも、周期的なものでもなく、過去の政策の影響である。サバクトビバッタなどの「蝗害」を含め、何らかの虫が大量発生する場合はほぼ例外なく、何らかの植物が大量発生している。それはたいてい、人為的なものである。

緑のダムの故障

山の貯水能力が下がれば、里に住む人たちは水不足で悩むことになる。そこで、莫大なコストをかけて人工的なダムを作ろうという話になる。そこに水を貯めれば、好きなときにいつでも使えるから、と短絡的に考えた結果の「妙案」である。自然のダムである山と森の問題から目を背け、水不足の問題は解決したかのように見えた。

田んぼの水は山から流れてくる。上等な米を求めるなら、山のきれいな湧水が必要である。それは降って湧いたもの、つまり雨が降って森の樹々の根元に貯められたものである。降ってもほとんど流れていってしまえば使える水はない。ただ、耕起によって団粒構造にならなかった土と肥料とともに川を濁らせながら海へと帰っていくだけなのだ。水不足では稲作はできない。

水は気相・液相・結晶相と形を変えてどこまでも移動する。海から山、川、そして海へと帰還する水の循環を断ち切れば、雨は降らなくなる。コンクリートダムに水が貯まらない異常事態に悩む前に、コンクリートダムが自然にもたらす影響についてよく考え、自然がコストゼロで作り、使わせてくれていた「緑のダム」の故障を直さなければならなかったのである。霧が立ち込める山こそ「沢山」の水を湛える天然のダムなのだ。

一次産業の融合

一次産業に従事する者は自然の循環を理解しなければならない。その理由は、上に書いたような事態———過去の自然への誤った行いがもたらす全く嬉しくないプレゼントの数々———を避けるためである。現在の私たちに続々と届く負のフィードバック的プレゼントは、未来を担うこどもたちには絶対に継承したくないものでもある。

我々ポリマスリサーチでは、過去の世代が自然に対して行なった政策の負の影響を打ち消すために、現在の世代が地球に果たすべき使命として、一次産業を融合させる事業を計画している。我々は「どこかの国が日本の豊かな森林を破壊するために仕組んだ」というような政治的な見方はしない。

我々は、競争主義と専門分化がもたらした構造的な問題であると考えている。その結果として、針葉人工樹林の造成につながったと考えている。このような問題はこれ以外にもたくさんあるが、それは構造から生み出されてくるパターンである。森の生態系の貧困化もひとつのパターンであり、対症療法を繰り返しても、構造を改めなければ完全治癒は望めない。

この問題を解消するための反対のベクトルは、協力主義を採用してポリマス(万能的)に行動することである。一次産業の特定の部分を工業化し肥大化させる方向は、自然界の不自然化を促進し、諸問題を悪化させることにつながる。農業、林業、畜産業、漁業が担う仕事をすべて融合し、より包括的に扱うことで、自然経済と結合した必要十分な自然経営が可能になると我々は考えている。

いますぐ超自然的な行動を

広葉樹が成熟するまで20年から50年かかるといわれている。樹齢数百年にもなる長寿命な広葉樹ほど育つのに時間がかかる。広葉樹が育っていく間に生態系の貧困問題は拍車を増していく。恒常性が低下した地球もどんどん温暖化していく。

一方で、温暖な気候では生育が早まるという法則がある。ということは、成熟するまでの期間は短縮されるかもしれない。生命の完全性原理と多様性原理から考えても、私たち人類がいま超自然的な行動をすれば、地球の自然治癒に貢献できる可能性がある。

温暖化とは、地球の自浄作用としての発熱、自然治癒力の発揮と捉えることも可能である。現在進行中の地球温暖化が現生人類を含む地球生物の大量絶滅イベントとなるか、次の種「ホモ・スプラナチュラ(超自然的な人)2」への進化イベントとなるかは、いまの我々の行動にかかっている。


Footnotes

  1. ”拡大造林政策は、林野庁の主導のもとに行われた「官製の森林破壊」にほかならなかった。このときに、林業関係者から「ブナ征伐」という言葉が盛んに聞かれた。この結果、1954 年当時、全森林に占める人工林の割合は27%に過ぎなかったのが、85年には44%を超えた。この間に1700万本とも推定されるブナが「征伐」された。森林面積に占める人工林の割合は、世界全体で約3.5%。日本でいかに植林が急ピッチで進められたのかがわかる。”(森林保護の系譜より引用)

  2. ポリマスリサーチ独自の造語。2024年7月現在、このような種の学名はまだ存在しない。