生命の連環
何重にも重なるループが生態系であり、物質循環、エネルギー循環が生命の本質である。それはエントロピーが自然に下がることと同義であり、循環を断ち切ることは生命の破壊を意味する。人類の反自然的作用は自然が生み出す円環ループをことごとく断ち切ること で、宇宙のエントロピーを増大させている。
知的生命体の役割は宇宙のエントロピーを下げること
宇宙のエントロピーを下げることこそが知的生命体たる人類の役割である。本来なら地球上のエントロピーを下げ、太陽系に飛び出し、太陽系のエントロピーを下げ、天の川銀河に飛び出し、天の川銀河のエントロピーを下げ、超銀河団に飛び出し、超銀河団のエントロピーを下げ、という風に役割を果たしていかなければいけない。天から与えられた使命を疎かにして、ひたすら利己的に生きていくのは宇宙に対する病原性1を発揮しているだけである。我々は地球微生物として、現在の居住惑星である地球に対して病原性を発揮するのではなく、治癒性を発揮しなければいけない。
宇宙のデザインから推測するに、おそらく宇宙の別の場所にも知的生命体は存在し、エントロピーを下げる仕事をしているはずである。ヒトと同じ形をしているかどうかはわからないし、そこは問題ではない。見た目よりも中身、宇宙の中でどんな役割を果たしているかということだけが重要なのだ。地球上で未知の人類同士が初めて出会ったときのように意外と似ているかもしれないし、人類が未知の動物と出会ったときのように全然似ていないかもしれないが、大事なことはどんな仕事をしているかということだ。自分も相手も宇宙の中に存在する以上、宇宙に対する何らかの役割を与えられている。物理的に言えば、エントロピーを下げる役割であり、平和の実現を目指す仲間であるといえる。
エントロピーを下げる仕事とは利他的な仕事であり、そのような仕事こそが進化をもたらす。生命体はその仕事に効率的なフォルムに進化する。生命体を指揮する意識も共進化する。
利己的な遺伝子は宇宙的にあり得ないコンセプト
宇宙では、利己的なものは途絶えて進化できないようになっている2。「利己的な遺伝子」があり得ないコンセプトであるということは、思考実験としてシミュレーションしてみればすぐにわかる。この世界に利己的な生命体しかいなければ、時間経過とともに種の多様性が必ず減少していく。一種、また一種と絶滅していき、最終的にはその世界で「最強」の種、「最適応」の種、最も利己的な種も生きていけない環境になる。利己的ならば他を絶滅させ、やがてすべて絶滅してしまうというのは避けられない運命である。
ありと あらゆる植物の中にウサギしか動物がいない世界を想像してみよう。ウサギは好きな植物を食べて生きていける。ウサギはやがて猛烈なスピードで繁殖し、ほとんどの植物種を食べ尽くして絶滅させてしまう。植物が残り一種のみとなる。ウサギはそれを食べて生きていくしかないから、食べ尽くして絶滅させてしまう。ウサギは食べるものがなくなったので飢えて絶滅してしまうことになる。どうしたらウサギは絶滅せずに済んだだろうか?
その世界にキツネがいたらどうなっていたか。ウサギはキツネに食べられ、植物の多様性は守られる。しかし、キツネがウサギを食べ尽くして絶滅させてしまったら、キツネは草食になるか絶滅するかの選択を迫られることになる。いずれにせよ、草食になってもウサギしか動物がいない世界と同じ結末を迎えるから、絶滅は避けられない。
植物界も同じだ。利己的な一種がエネルギーを占有すれば多くの種は絶滅することになる。多くの種が絶滅すれば循環の流れは断ち切られ、最終的には自分も滅ぶことになる。
自然の時間スケールで捉えると環境問題の原因は明らか
成長が速いからといってスギやヒノキといった針葉樹ばかりを植えて森を作ろうとすれば、ブナやコナラやクヌギといった広葉樹の木の実を食 糧とする未来の森の守り神は山を下りなければいけなくなる。1957年の国有林生産力増強計画の影響は、2024年に確かに現れている。いま、熊が山を下りてきてしまうようになったのは、過去の人間たちの近視眼的で反自然的な行いの作用である。当時の人々が支持した反自然的な政策の影響が半世紀後の現在に非同時的に現れているだけの話なのである。これはまったく難しい話ではない。小さなこどもたちにも理解できる話だ。
ヒトは時間を含む幾何学パターンを捉えることは苦手だ。時間経過によって形が変化していくことを扱う能力は頭脳ではなく心だから、心を磨かなければ永遠に気付けない。満開の桜を喜ぶ心で森を山を海を捉えてみよう。一年単位ではなく、十年単位ならどう感じるか? 百年、千年ならどうだろう? 一万年、百万年、一億年の単位でパターンを捉える能力が心として我々には備わっている。花鳥風月を愛で、雪月花を歌うことが心を持つ我々にはできる。
生命の連環はどこまでも
過去に自然に対して行った反自然的な行いはすべて循環のループによって現在にフィードバックされてくる。過去から放たれた光はすべて非同時的な波として現在に到着する。宇宙に直線は存在しない。同時的なものもない。世界首脳サミットやオリンピックの選手団が同時に現地入りすることがないように、現象は曲線的な軌道で、何かを経由しながら次々と到着する。
昨今の自然にまつわるすべてのトラブルを全世界的な気候変動のせいにして、地球各所で非同時的に起こした自分たちの過去の振る舞いを反省しない風潮がある。メディアは現象だけに注目させ、大きな循環ループには注目させない。
ドイツの気候学者ケッペンが気づいたように、気候と植生分布は不可分なのだ。気候が植生に影響を与えるのと同じくらい、植生も気候に影響を与える。私たちが現在悩まされている気候変動は過去の植生変動の結果と考えられる。それは地球生態系にとって大規模な撹乱となった。現在の行いが未来にフィードバックされてくるとしたら、未来の世代のためにどのような振る舞いをすべきだろうか? あらゆるものは、他のあらゆるものと繋がっている3。生命の連環はどこまでも続いていく。