系統発生とモンテッソーリ発達理論
モンテッソーリ発達理論では、胎児期を含む0歳から24歳までの人生の最初の24年間の発達過程を科学的に扱う。この理論は、医学者であり人類学者であったマリア・モンテッソーリと協力者たちの科学的な観察と洞察によって確立、継承されてきたものである。その発達理論をヒトの生育環境デザインに応用したものがモンテッソーリ教育理論である。
「個体発生は系統発生を繰り返す」を理解する必要性
巷のモンテッソーリ教育理論では、「系統発生を繰り返す」という全生物共通の発生原理があまり重要視されていない。そのような物理的原理よりも、もっとすぐに役立つ内容———例えば、教師や母親の長年の経験則に基づいた各論的なこどものケーススタディ———が重要視されている。
私たちが研究している発達理論のベースはモンテッソーリ発達理論であるが、その理由はモンテッソーリ発達理論だけが理論のコアとして「個体発生は系統発生を繰り返す」という発生学者ヘッケルの反復説を採用しているからである。
私たちは、この生物発生原理を理解せずに発達理論の本質は理解できない、と考えている。逆に言えば、この本質を深く理解できれば、モンテッソーリ発達理論という特定の生物種———学名がホモ・サピエンスあるいはホモ・サピエンス・サピエンスとされている動物———中心に体系化された「人間中心の発達理論」を、より汎用的な「生物一般の発達理論」に発展させる道も見えてくる。超自 然生育理論は、そのようなポリマスリサーチ独自の方向性を反映して構築したものである。内容はまだ完全に公開していないが、前述の記事を一読してもらえれば、その目指すところは伝わるのではないかと思う。
自然知能を扱うための発達理論の重要性
私たちの日々の生活を豊かにする文明技術は、強力であればあるほど、何らかの物理論に基づいている。例えば、ChatGPTを開発するOpenAI、AlphaFoldを開発するDeepMindの技術者が技術に関連する諸理論に精通していないことはあり得ない。計算機技術が複雑化・高度化すればするほど、情報理論や計算理論などの基本原理を知らずにコンピュータサイエンスの進歩に貢献することはほとんど不可能になってくる。
人工知能の世界では、対象が人工物であるため、物理論に基づかなければ何の進歩も得られないという構造がある。そこで仕事をして成果を挙げようと思ったら、「物理学レベルのブレイクスルーが必要になる」という認識が第一線で働く人々の中に当然のようにある。人工知能の研究者や技術者は日夜、新しい論文のチェックと実験を繰り返して新しい知見を得ている。
自然知能を扱う「教育」の世界では、そうなっていない。「教員免許」は教師が発達理論に精通していることの証明になっていない。自然知能を第一線でトレーニングするために働く人々が発達理論に精通していない。これは非常に問題である、と指摘したい。
現行教育システムの基礎になっているピアジェやエリクソン、ヴィゴツキー、デューイ、コメニウス、フレーベル、ガードナーなどが作ったそれぞれの理論を大学で学んだことはあると思うが、99%の教師はこどもの発達理論に精通していない。それは精神科医や心理カウンセラーの領域だと考えている。
ほとんどの教師の頭の中は日常の雑用とクラス運営のことばかりで、こどもの発達理論研究を継続的に行い、こどもたちの環境改善に日々努めている者はほとんどいない。そのような時間的余裕も精神的余裕もない状況が当たり前になっている現行教育システムの世界では、人工知能の世界のような非線形な革新が起きる可能性はほぼゼロである。
オルタナティブ教育と発達理論
いつの時代も主流になるのは反主流的なものであるが、教育にもオルタナティブな方法論がいくつかある。ポリマスリサーチでは、そのほとんどを調査研究している。
私たちの調査では、オルタナティブ教育の中で、誕生から青年期に至るまでの体系的な発達理論に基づいている教育法は、モンテッソーリ教育とシュタイナー教育(ウォルドルフ教育)の2つのみである。これ以外の教育法は体系的な発達理論に由来するものではなく、教育法実施者の裁量が大きいために再現性のある形での教育 理論検証が不可能であると判断している。(※これ以外にある場合はお知らせいただきたい)
このうち、シュタイナー教育は0-7歳、7-14歳、14-21歳と7年ごとのサイクルで発達段階を捉えている。しかし、その根拠が科学的に証明可能ではないと判断している。「ヒトの細胞が7年ごとに全て入れ替わる」という話を根拠に挙げる人もいるが、これは科学的には正確ではない。細胞の入れ替わりの速度は、細胞の種類によって異なり、7年という一定の周期で全ての細胞が入れ替わるわけではない。ヒトの体には約37兆個の細胞があり1、各細胞は異なるライフサイクルを持っている。
例えば、皮膚細胞は比較的早く入れ替わり、約2~3週間で新しい細胞に生まれ変わる。血液の赤血球の寿命は約120日(4か月)。その後、体内で分解され、新しい赤血球が生成される。腸の内壁にある細胞は、絶えず新しい細胞が必要で、数日から1週間程度で入れ替わる。一部の脳の神経細胞(ニューロン)は、ほとんど一生入れ替わらないと考えられている。心筋細胞はほとんど増殖しないため、ほとんどが生涯にわたって変わらない。
ということで、私たちはシュタイナーの発達理論は科学的に検証不可と判断し、研究継続を断念した。一方で、モンテッソーリ発達理論は引用元が明確で科学的に検証可能であることから、ポリマスリサーチの発達理論のベースに採用し、現在も研究を進めている。
何の発達理論に基づいているのか
傾向として、AMI(国際モンテッソーリ協会)の教師養成コースの受講者やマリア・モンテッソーリの著書で直接研究した者だけがモンテッソーリ発達理論の「発達の四段階」の重要性を強調する。
この発達原理を研究すればするほど、この発達原理を知らない、あるいは、よく理解しないまま、こどもの発達に関わる仕事に従事している人が多くいることが、発達に関する社会の諸問題が一向に解決されない原因になっている、と我々は考えるようになった。
教育理論が機能するのは発達理論が物理的な正しさを持っているからである。現行教育システムの自然知能を高める能力は短期的には高いが、長期的には低い傾向がある。ほとんどの自然知能は学校に通わなくなると学習をやめてしまう傾向がある。
例えば、学校に通っている間の読書率は100%近いのに、強制されないとトップの国でも30%程度になる2。日本に至っては20%である。毎日読書をする人の割合がこの程度ということは、現行教育システムは、生涯学習を続ける自然知能を生み出すという基準で評価した場合のパフォーマンスは30%以下ということになる。テストで言えば、落第点である。
生まれたてのこどもの爆発するような好奇心や探究心、幼児の自立心や創造性などを知っていると、現行教育システムは根本的に何かが間違っている発達理論 に基づいているのではないかと思わざるを得ない。
こどもの真のニーズと環境
こどもたちは大人が用意した環境で生活することを余儀なくされる。こどもたちには、家庭や学校の環境を直接変える力はないから、環境をデザインしている大人がこどものニーズを理解しなければいけない。
こどもは自分のニーズを直接伝える能力を持っていない。言語能力が発達しても「本当に何を求めているか?」は自分で簡単に説明できるものではない。真のニーズを伝えることは考えているよりも遥かに難しい。自分が本当に求めるものは、本当に求めるものが利用可能になったときにだけ、長い没頭と深い満足、生活習慣の大きな変化という形で表れる。
例えば、「iPhoneがない時代」に「iPhoneで初めてできるようになったこと」で「毎日夢中になっている自分」を想像するのは難しい。同じように、「自己教育できるような環境がないとき」に「そのような環境で初めて可能になること」で「こどもがどんな姿を見せるのか」を事前に想像するのは難しい。
原則として、環境との自由なインタラクションによって生物は発達していく。環境がその生物のニーズにフィットしていれば繁栄できるし、フィットしていなければ過酷なものになる。他律で育ったヒトは自律できなくなる。動物園の鳥はいずれ空を飛べなくなるし、沸騰する地球では多くの生き物が絶滅する。これは ヒトを含む生物一般に当てはまる法則である。
与えられた環境をどう活かすかは個人次第だが、発達上の問題解決に従事する人やノウハウの数は増え続けているのに、発達上の問題に悩まされる人の数も比例して増えていく状況は明らかにおかしい。一般的に、誤った認識に基づいた誤った問題解決は問題を悪化させるが、ここではそのような力学が働いているように思う。
ヒトにおける発達の四段階
モンテッソーリ発達理論における「発達の四段階」とは、0歳から24歳までの24年間に0-6歳、6-12歳、12-18歳、18-24歳と6年ごとに4段階の発達フェーズがあるとする考え方である。以下の表に、各発達段階の特徴を「身体的発達」「精神的発達」「社会的発達」の観点から整理した。
発達 | 0〜6歳 | 6〜12歳 | 12〜18歳 | 18〜24歳 |
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身体的発達 |
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精神的発達 |
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社会的発達 |
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これは、さらに0-3歳、3-6歳というように、3年ごとに分割できるが、ここでは主題と関係ないので説明を省略する。重要なことは、モンテッソーリ発達理論における「敏感期」や「正常化/逸脱」という概念がこの24年間を4つの段階でステップアップしていくときのマイルストーンに過ぎないという認識を持つことである。「敏感期」や「正常化/逸脱」の概念だけを個別に取り出しても、発達全体の流れを捉えることはできない。
モンテッソーリ教育のトレーナーなどが「発達の四段階」の重要性を強調するのは、おそらく個別最適に陥るのを防ぐためである。発達理論は「0-6歳さえ良い環境で育てたらとりあえずOK」というような方便に使うためのものではない。個人の人生に対する全体最適、かつ、個人が属する宇宙に対する全体最適としての生育環境デザインを行うためのものである。
こどもが過ごす環境の重要性を理解していない人は論外として、「よりよい生育環境を整備していく」を実際に実現することの難しさはそれぞれの考える「理想の環境」がそれぞれ異なることに由来していると考えている。これは「よりよい生育環境」の定義が曖昧であったり、こどもの発達ニーズの解像度が低いことが原因になっている。
そこで、表で示した経時変化する発達ニーズへの理解があれば、「よりよい生育環境を整備していく」ことはもっとイージーゲームになる はずである。これはヒトの生態的特徴のようなものであり、どの個体にも再現性があり、環境の有効性を科学的に検証可能である。「こどもってこういう玩具や絵本を好むから置いておこう」というような誰かの思い込みの域を超えない「環境改善」とは一線を画すものである。
発達理論研究は全生命の援助へつながる
発達とは、受精から母親の胎内にいる期間(卵生の場合は卵の中にいる期間)、つまり産声を上げる前から連綿と続く「系統発生を繰り返す」という全生命共通の発生原理の現れである。
ヒトは単細胞生物 → 多細胞生物 → 真核生物 → 後口動物 → 脊索動物 → 脊椎動物 → 魚類 → 両生類 → 有羊膜類 → 単弓類 → 哺乳類 → プルガトリウス → オモミス類 → エジプトピテクス → プロコンスル → 類人猿 → 猿人 → 原人 → 現生人類(ホモ・サピエンス)と進化してきた3。その過程を個体発生においても繰り返している。
真核生物から分岐して真核生物 → 緑藻類 → 陸上植物類と進化した樹木や草たちも、真核生物から分岐して前口動物 → 節足動物 → 昆虫類と進化した虫たちも、両生類から分岐して爬虫類 → 鳥類と進化した鳥たちにおいても、その発生原理は働いている。
ここでは 詳細に個体発生と系統発生の対応関係を指摘しないが、例えば、哺乳類には哺乳をしなければならない理由がある。哺乳をしなければ獲得できない形質があり、そのボトルネックが、ある個体における健全に発達できない部分につながる。そして、そのボトルネックを解消しなければ次の発達段階への完全移行を阻害するということを我々は発見した。
この発見から洞察するところによると、「敏感期」を逃した個体、つまり発達ニーズを満たせなかった個体はその後ずっとその発達ニーズを満たすチャンスを伺っている。しかし、宇宙に向かって進む発達のプログラムは止まらないから、宇宙に達するために使えそうな特定の能力を伸ばして迂回して発達していく。これが「専門分化」である。
例えば、五感を鍛える環境に恵まれなかった場合でも数学的能力を伸ばして推理能力を高めようとする。記憶保持が難しければ、活発に活動して探索しようとする。光が使えないなら音の感受性を高めようとする。すべてはこの巨大な宇宙を理解するためである。どこまでも宇宙的であろうする生命の神秘的プログラムが動いている。
精神は宇宙を理解するためにある。発達ニーズを満たせさえすれば、そこで次のフェーズに進む準備は完了し、非同期的に発達段階が進む。発達ニーズを満たせなければ、身体が成長し、肉体的に老化しても発達段階は進まない。宇宙の理解レベルは各生物個体で段階が様々異なるが、ヒトという種では文字というシンボルによって記録を残し伝え合うことで、非同時的に宇宙理解の平均レベルを上げていく技を身に付けている。それによって、個体レベルで発達段階が 進まなくても、種としては絶滅せずに生を全うすることができるようになっている。
1年間の肉体的発達と24年間の精神的発達
肉体面での系統発生の繰り返しは人生最初の1年間でおおよそ達成される。母親の胎内の海から陸に上がった新生児は、哺乳と睡眠を繰り返すところから、手足をバタつかせ、音と光に反応し、喃語を発し、首がすわり、母親を認識し、ものを掴み、声を出して笑い、寝返りを打ち、人見知りをし、地を這い、歯が生え、座り、四足歩行をし、徐々に直立し、二足歩行へ移行していく。
精神面での系統発生の繰り返しは人生最初の24年間で達成されるように設計されている。直立二足歩行を開始して肉体的移動の自由を手にするように、24年間の発達ニーズを完全に満たした先には宇宙的視野(Cosmic Perspective)の獲得がある4。宇宙的視野を獲得して精神的移動の自由を手にすることが精神的存在としてのヒトが最終的に達成することである。それを「悟りを開いた」とするか、「本願成就」とするか、「神の啓示が下る」とするか、「霊的に覚醒する」とするかは各宗教宗派の自由であるが、すべて「宇宙と一体化する」という状態を表している5。つまり、宇宙的な自己認識のもとに行動できるようになるということである6。その視野の獲得によって宇宙のエントロピーを下げる仕事を通して宇宙へ貢献できるようになる。このヒトの発達時計ともいうべき正確な発達段階の移り変わりはすべてのヒトに共通している。
ポリマスリサーチでは個体発生と系統発生の対応関係について引き続き調査中であるが、現時点での調査結果からも様々な洞察が得られている。その驚くべき結果については精査中であり未発表であるが、先に洞察だけでも社会に共有すべきかもしれないと考え、こうして論考としてブログで公表している。発達に関する諸問題で悩める人々の問題解決のヒントになればと思う。
Footnotes
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“人体の細胞数はおよそ60兆個であると学んだ人も多いかもしれません。しかしその根拠は曖昧なもので、実は信頼に足る数字ではありませんでした。そんな中ついに、2013年11月に発表されたEva Bianconiらの論文において、人体の細胞数はおよそ37兆個であるという試算がなされました。”気になる数字をチェック! 第9回 『37,000,000,000,000(37兆)個』より引用 ↩
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GfKジャパンによる「読書頻度に関するグローバル調査」(17ヵ国で2017年に実施)より。 ↩
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当然、諸説ある。確定的なことを言うには「化石が足りない」が、今後の研究によって歴史が変わるとしても、どの方向に進んでいるかという大きな方向は変わらない。 ↩
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これはポリマスリサーチが発達理論研究から得た独自の解釈であり、マリア・モンテッソーリのオリジナルの理論にはないものである。 ↩
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ポリマスリサーチでは、マリア・モンテッソーリやバックミンスター・フラーの理論の他、各宗教宗派の教えなどを「全人類が協力して現在までに獲得した智慧」と捉え、球体的に発達理論研究を進めている。そのシグナルの数々をトポロジカルに捉えると、地球上で非同時的に発生し、継承されてきた多くの教えの中に物理法則のように共通している部分があることがわかる。 ↩
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6-12歳のフェーズで、宇宙を中心にした体系で十分な探究活動ができなかった場合、宇宙で はなく人間社会的な自己認識のもとに行動するようになる。つまり、宇宙中心ではなく人間中心的な考えをするようになるということ。 ポリマスリサーチの基準では、モンテッソーリ教育の「Cosmic Education(コズミックエデュケーション)」は宇宙的ではないため、大いに改善の余地があると捉えている。 ↩