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ポリマスネス

· 約15分
Yachiko Obara
共同代表 @ ポリマスリサーチ
Hiroki Obara
共同代表 @ ポリマスリサーチ

万能性を表す指標として「ポリマスネス」を定義したい。そのような万能性を表す指標的概念は検索してみたが、何もヒットしなかった。日本語の問題かと思い、英語で”polymathness”、あるいは”polymathyness”を検索してもヒットしなかった。Google 検索の品質劣化の問題かと思い、ChatGPT-4 に訊ねてみても、ヒットしなかった。つまり、現在のところ、世界に存在しない概念なのかもしれない。少なくとも、ネット上には2024 年2月現在、求めている用語は存在しないようだ。

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「頑強な」という意味の形容詞 "robust" から派生した「頑強性」を表す「ロバストネス(robustness)」みたいな指標が欲しい。このような指標があれば、ロバスト最適化のように最適化していくことができる1

ヒトはポリマスネスを高める方向に進化している

ヒトは超専門分化が次の種への進化の道だと誤解しているが、自然はヒトという種に専門分化することを明らかに求めていない。単細胞生物 → 多細胞生物 → 後口動物 → 脊索動物 → 脊椎動物 → 魚類 → 両生類 → 有羊膜類 → 単弓類 → 哺乳類 → プルガトリウス → オモミス類 → エジプトピテクス → プロコンスル → 類人猿 → 猿人 → 原人 → 現生人類(ホモ・サピエンス)への進化の系譜2を見れば、ポリマスネスを高める方向に進化していることは自明である。

もしも自然がヒトに専門分化することを求めているなら、顕微鏡並みの性能を持つ目を持っていたり、地球の脱出速度を超えるジャンプ力を獲得していただろうが、そうはなっていない3。人類は顕微鏡がないとミクロの世界を探索できないし、ロケットの推進力がないと惑星を脱出できない。

人類は身体機能を外部化し道具として進化させるというメタ知性を獲得している。これにより、特定の技能に特化せず、必要時に着脱することで専門機能を身に付けることが可能になった。そのために重要な手という器官。手も脳を外部化した道具とみることができる。犬や猫など四足歩行の動物を観察すれば誰でもわかることだが、手が足だった時代には道具を作れず使えず、口で物を掴み、運んでいた。蛇やワームのように手足がない時代は這うことしかできなかったが、口はあった。口を使うことから手を使うまで長い時間がかかっている。

現在の人間界では、専門家の地位が非常に高い。専門家とは専門分化した人たち。他の人よりも走るのが速い、空を飛ぶのが上手い、水中を泳ぐのが得意。そういう専門的な能力を高めることで別の種に進化することはあれど、次の種に進化することはない。宇宙はヒトという種に万能性を高めることを明らかに求めている。その証拠に、ヒトは生まれてから長い期間、ひとりでは何もできない。座ることも立つことも歩くこともできない。ただ五感で感じ、呼吸し、泣き、乳を吸うことしかできない。

しかし、それは同時に、助けを借りて何でもできるということである。王様のように他者を道具化することに成功している。そして何にでもなれる無限の可能性を有している。ポリマスネスとは、「なりたいものに何にでもなれる」という潜在能力である。何でも知りたがり、何でもやりたがる。それが生命の本質であり、その強さが生命力である4

牛はすぐに立ち上がる。馬もすぐに立ち上がる。ほとんどの動物はすぐに何でもひとりでできるようになる。ヒトはおそらく寿命比で最も成熟が遅い生物と考えられるが、それは専門分化を可能な限り遅らせ、全方向に可能性を残しているということの裏返しである。

ヒトの常識は宇宙の非常識

宇宙に方向はない。宇宙空間に放り出された宇宙飛行士には上も下も右も左もない。これは地球上で重力によって獲得した常識にすぎず、宇宙では通用しない。東西南北は北極星に向かって相対的に地球上の位置を決定する方法であり、宇宙では通用しない。宇宙には内と外しかない。内と外を隔てる膜のような概念だけは宇宙でも通用する。このように、ヒトの常識は宇宙では通用しないことが多い5

このまま人類が仲間割れをして自らの文明を破壊してしまわない限り、テクノロジーの進歩によって多惑星居住を実現することになる6。そのとき、人類は田舎から上京した若者が狭い世界の常識に染まっていたことを自覚するように、あるいは海外に留学した若者が一国のローカルルールのユニークさと自らのアイデンティティの所在、故郷のありがたみを痛感するように、地球への宇宙的認識と人間が持つ常識の価値を自問自答することになる。

この点を考慮しても、自然という概念は地球にとどまるものではなく、宇宙のどこに住んでいても通用する概念であると思う。「自然なものとは何か?」「自然と科学は対立するものなのか?」「科学によってもたらされる便利な文明社会は宇宙惑星地球にとって自然なのか?不自然なのか?」など、自然を巡る哲学問答を始めると、実は自然とは地球の緑を指している言葉ではなく、宇宙を指していると気づく。この「自然かどうか」の宇宙的視点は、地球人が宇宙で生活していく限り、今後も重要な論点であり続けるはずだ。

地球への宇宙的認識と人間的認識のギャップ

ヒトの数だけ捉え方はあるが、地球的な視点に立つと、ヒトの常識では現れない姿が見えてくる。地球的に見れば、地球の健康は恒常性の問題と捉えることができる。戦争とは地球の皮膚に住まう微生物の食糧・エネルギーの偏在から来る地球生態系の炎症であり、平和とは拡張された地球生態系によって食糧・エネルギー偏在が解消されて恒常性が保たれている状態、と定義できる。この定義においては地球に真に平和が訪れたことはないし、どちらかと言えば痛みっぱなし。自然が長い時間をかけて育てた大地の生産力をひたすら消費している状態であるように見える。

これは自然に対する無知と、その無知に対する無自覚が根本原因であるように思う。一見、地球に配慮したエコフレンドリーな試み、環境にやさしいと思ってやっているオーガニックな農法は本当にそうなのか、地球視点に立って考える必要があると思う。地球視点で地球環境の再生に役立つということは、例えば砂漠を緑化できるということであり、森の動物たちが豊富な食糧に恵まれて生きていけるということである。

人間の活動がどこまでもヒトの常識に影響を受けたものであり、宇宙的に正しくないものならば、地球環境を守りたいと思って良心から行なった行動であっても、それは時間を進めると緑地を砂漠化することや、山を荒廃させ飢えて彷徨う野生生物を増やすことにつながっているかもしれない。それは人間基準の善行であって、地球基準の善行ではなく、むしろ結果的には地球に対する悪行になっているかもしれない、ということである。

そのギャップは地球への宇宙的認識と人間的認識のズレにある。では、そのギャップを埋めるにはどうしたらよいのだろうか。

上昇するノウホワイの価値

良かれと思って考えたことが宇宙的にも正しいという奇跡的な思考回路を持つヒトに育つには、ポリマスネスを高める方向しかない。「ハンマーしか持っていなければ、すべてクギに見える」ということわざもあるように、ひとつの専門性からはひとつの専門的観点および付随する解決案しか導き出せない。特定の一分野における「それは何なのか」という know-what(ノウホワット)、「それはどうなのか」という know-how(ノウハウ)に精通している人間の価値は下がっている。

そのような人間は歴史的役目を終え、道具によって置き換えられ始めている。そのような専門的知的能力は、書物やコンピュータ、インターネットという道具で外部化に成功しつつある。記録媒体ができ、口伝で伝えていたこれらのノウホワットやノウハウは伝達エラーを抑えながら、より正確かつより広範囲に情報転送できるようになり、次の世代にも伝えられるようになった。人類が持つ情報はほとんどが符号化され、分散型ネットワークを形成し、見えないバリアとして地球上のどこに住んでいてもアクセスできるように整備され続けている。

しかし、勘のいい読者はお気づきの通り、「それはなぜなのか」という know-why(ノウホワイ)に精通している人間の価値は下がるどころか、ますます上がっているように思う。なぜならノウホワイは毎秒増え続けるカオスな情報を圧縮するメタ情報であるためだ。つまり、宇宙的な原理がなければ増大する情報は無秩序なノイズでしかなく、そこに何らかのパターンを見出してシグナルをキャッチするには構造を知らなければいけない。「なぜそうなるのか」がわからなければ、すべては偶然の産物であり、何をどう役立てていいのかもわからない。

紀元前 3 世紀、アルキメデス7のテコの原理の発見によって目に見えない宇宙の仕組みが少し見えるようになった。それによって、ハサミやスコップ、蛇口やボートのオールなど、人類の仕事効率を飛躍的に改善する便利な道具の発明として目に見えるテクノロジーが現出した。このように、ノウホワイは無価値に思われた多くの情報に価値がもたされることにつながる。地球生物の活動を地球のメタブレインとして機能させるノウホワイが人類にはもっと必要であると思う。

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前時代の超知的な仕事は一般化する

物理法則を調べるというノウホウイを得るのに欠かせない活動は、21世紀現在では物理学者という一部の知的専門家の超高度な仕事のように思われている。これは計算機がそれほど発達していなかった頃、物理法則を調べるには計算能力、論理能力、数学能力が必要だったため、その名残からきているように思う。しかし、原始人の時代に一部の選ばれし人々だけが行なっていた仕事──文字を書き、天体運行に合わせて多くの人を動かすような超知的な仕事──を現代人は日々、オフィスや自宅で当たり前のように行なっている。中には、サラリーを貰って新しい宇宙を作るような仕事をしている人もいる。

人類の歴史から見れば、前時代の超知的な仕事は次の種では大多数の一般人が行うような仕事になるという傾向を示しているから、人工知能とのコラボレーションによって思考能力を飛躍的に拡張できるようになった21世紀後半から22世紀以降の人々は、これからノウホワイを流通させる仕事に従事する可能性が高い。

増強した拡張知能はポリマスネスという倫理を必要とする

これからの人類は移動範囲を飛躍的に増やした自動車や船、飛行機や宇宙船のように、思考範囲をコンピュータを発達させることで飛躍的に増やしていく。人間の危険で辛い仕事を置き換えていくと同時に、現在の物理学者がしているような知的労働に誰もが取り組めるようになり、人類のノウホワイ保有量も飛躍的に増えていく。その結果、人類は宇宙に飛び出し、超自然的な仕事に取り組むようになるだろう。しかし、ポリマスネスが高まらなければ、魔法のように専門的に発達させた道具を誤った目的に使用し、滅亡することになるだろう。

その意味で、ポリマスネスとは倫理のようなものであるといえる。人類を破滅の道から救う安全装置として高いポリマスネスを有する個人が一定数必要であると思う。現生人類の稚拙な科学技術レベルでは、強力なテクノロジーの使用はそのまま膨大なエネルギー消費を意味する。局所的な専門性だけを発達させたテクノロジーに依存する限り、人類は地球のエネルギーを食い尽くし、地球恒常性にダメージを与え続け破壊し、地球の自己再生能力の限界を超えて不可逆に全球崩壊する未来は避けられない。昨今の気候変動から、その兆候はすでにある。

生命を躍動させる強力なテクノロジー

21世紀前半のヒトという種は、未だ、日進月歩で開発してきた強力なテクノロジーを同じ惑星に居住する仲間の生命を奪うことに使っている。幾千億の命を奪うことができるなら、幾千億の命を躍動させることもできるのではないだろうか。

自然よりも科学を、人格よりも能力を、心よりもお金を大事に思ってしまうきっかけは人生の何処にあるのだろうか。なぜヒトは、自然を犠牲に科学を発達させようとしてしまうのか。人格よりも能力を、心よりもお金を発達させようとするのか。その関係を逆にしたら何が起きるのだろうか。

ヒトは肉体的な飢えをしのぐテクノロジーとして「農業」を発達させた。次に、精神的な飢えをしのぐテクノロジーとして「教育」を発達させた。しかし、それらはヒトの欲望を反映し続けてアップデートしてきたものであり、人間社会の要請には従ってきたが、地球の要請には従っていない。生物を生育するテクノロジーは、宇宙・地球・生命の仕組みを応用して、生命を躍動させるテクノロジーにまで高める必要がある。

そのためには、ノウホワイを見つけるための発達理論研究が欠かせない。それは情緒的・イデオロギー的・因習的なものではなく、物理学的・数学的・宇宙汎用的なものでなければいけない。そのためには、意識や生命を扱えない物理学を意識や生命を扱える新しい物理学に拡張する必要がある。固体的で時間を含まない数学を非固体的で時間を含む新しい数学に拡張する必要もある。宇宙・地球・生命に関して、自然宇宙の構造とパターンをもっと知る必要もある。これらの仕事の重要性は火星移住計画が本格化してくれば自ずと理解されることになるだろう。

こどもたちのポリマスネスに最適化する

ヒトは生得的な「何でも知りたがり、何でもやりたがる」欲求を犠牲に何を手にしているのか。万能さへの渇望を誤った手段で発露しているのではないか。「こどもたちに平和な世界を!」と本気で願うなら、「こどもたちの中にあるポリマスネスを高める」という私たちの具体的な活動に加わって欲しい、と強く思う。

バックミンスター・フラーはその可能性を20世紀には指摘しているし、同じく20世紀中にマリア・モンテッソーリが指摘している通り、平和はこどもから始まる。21世紀現在の世界の 99%の人々が重要だと思っていない「こどもの万能性を守ること」に私たちが情熱を燃やしているのはそういう問題意識からであり、それを実現するにあたり最大の障壁となるのはヒトの常識・先入観だと確信している。

人間の歴史は過ちの歴史である。人類が「私たちはこれまで多くの間違いを犯してきた。だから現在進行系で多くのことが間違っているはずだ」という内省的可謬主義に立ち、コペルニクス的転回をして宇宙的に正しい認識を持つことができれば、生命を躍動させるテクノロジーは全球的に機能し、真の意味で平和な世界が築かれることになる。

子孫たちに残すのは、平和な地球か。それとも恒常性が失われ腐敗した地球か。私たちは今、その分岐点にいる。


Footnotes

  1. ロバストネス(頑強性)とは、生物におけるホメオスタシス(恒常性)と同義である。生物における「健康である」状態とは「恒常性が保たれている」状態と定義することができる。言い換えれば、ロバストネスが高まっている状態。

  2. 当然、諸説ある。確定的なことを言うには「化石が足りない」が、今後の研究によって歴史が変わるとしても、どの方向に進んでいるかという大きな方向は変わらない。

  3. バックミンスター・フラーは『宇宙船地球号操縦マニュアル』の中でこの点をすでに指摘している。「宇宙船地球号」という言葉は広く知られているのに、『宇宙船地球号操縦マニュアル』の 1章と2章で詳細に語られている専門分化の問題について広く知られていないのはなぜだろうか。教育機関の設計思想そのものの欠陥と脆弱性を浮き彫りにし、現在の文明社会の基盤となっている多くの学術的権威への信用を失墜させてしまうリスクがあるからかもしれない。

  4. ポリマスでなければ生命力が弱いという意味ではない。どんな環境でも生きていく力を有するという意味である。川の上流から深海まで生きる動物の生命力は強い。南極から北極まで飛んでいく動物の生命力も強い。樹齢何千年にもなる植物の生命力も強い。虫や草花、小動物、微生物、異なるスケールに住むすべての生きものは皆、自らの生命に与えられたポテンシャルを発揮し、宇宙的使命を果たしているという意味において等しく強い生命力を有するといえる。

  5. この点においても、バックミンスター・フラーは著書で指摘している。『コズモグラフィー』や『クリティカル・パス』などの著書は日本語でも手に入る。宇宙的原理の解明に興味のある人はぜひ一読を。『テトラスクロール』など多くの名著が絶版になっていることは地球人として恥ずべきことである。絶版になっているものについては図書館などを活用するしかない。

  6. 例として、民間宇宙企業 SpaceX 社を率いるイーロン・マスクは「Making Humans a Multi-Planetary Species」(人類を多惑星種にする計画)と題した論文を発表している。

  7. アルキメデスは古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、発明家、天文学者として著名。発見した原理の数と質から、ポリマスネスは人類史上最高レベルといえる。